はじめまして!
「今の自分のままでいい!」
で満たされていかくから
劣等感、自己否定感、自信がない
から解放され
「自分が嫌い」を手放し
自己肯定感のある毎日にシフトしていく
【ナチュラルマインドシフトセラピー】
心理カウンセラー あまるめ
25年の人生相談や心理相談の実績
簡単なプロフィールをまとめてましたので
ご覧ください。
■略歴
1964年 岩手生まれ。
常に緊張感のある家族に生まれ
心に傷をつけられながら育つ
1976年 友人の悪戯がきっかけで
友人を受け入れられなくなり
友人関係を断ち切り孤独に
1985年 就職で親元離れる
他人を受け入れられず
心開けず職場にも居づらく
退職と転職を繰り返すように
2000年 離婚を3度言い渡され6年間会話0
妻の「寂しい」に
自信がなく気持ちも受け止められず
その言葉に応えられなかった
2002年 睡眠障害、うつ、適応障害に。
生きる意味を失い2回自死未遂
心療内科、精神科に通院も改善せず。
2004年 カウンセリングを受けること決意
心のうちを話すことに抵抗があるも
100%受け止めてくれ徐々に心を開く
2006年 同時に夫婦関係も修復でき会話復活
カウンセリングで心の改革ができ
睡眠紹介、うつ、適応障害が解消。
2018年 自分と同じような方の支援をしたく
「カウンセリングルームあまるめ」
を開設。
詳しいプロフィール
■心を傷つけられながら育つ
わたしは
常に緊張感のある家庭に
生まれ
恐怖、不安、寂しさ、孤独感を
常に感じながら育ちました。
一言でいうと
情緒的ネグレクト
を受けてきました。
親は自分の
気持ちや気分にあわないと
無視してその場から立ち去るか
激怒してその場から立ち去るか
のどちらかでしたので、
無視され、激怒されるごとに
傷つけられるだけでなく
その度毎に
寂しさ、孤独感を感じ
同時に自分の気持ちや考えを
話したら
責められたり怒られる
という恐怖感を感じていました。
そんな両親でしたので
関心を示された、
愛情を持ってる
と感じたことはなく
両親に甘えられた
こともありません。
家族の中に
私を守ってくれる人は
誰もいませんでした。
そのような思いあるので
とても安心して
気軽に話せる親子関
ではありませんでした。
そしていつも無視
されていたことで
自分はダメな子
だから無視される
と思っていました。
わたしは自分に自信がなく
いつもおどおどしていて
他人の顔色いつも伺っている
ような子供でした。
そして
そんな自分が大嫌いでした。
■劣等感が倍増した悩み
このような私に
十数年続いた悩み
が1つありました。
それは…おねしょ(夜尿症)
です。
失敗するたびに
やってしまったという
罪悪感、屈辱感、
恥ずかしさと悔しさ
が入り混じり複雑な思いを
毎日のように感じ
いつまでたっても治らない
悲しさや焦りなども
感じていました。
失敗するたび
責められ、
怒られ続けました。
親の注意を守ったとを
話しても
守ったことには触れずに
理不尽に
ただひたすら責められ
怒られ続けました。
ただでさえも恥ずかしいのに
責められ、怒られ
心が傷つけられ
自尊心がなくなっていくのを
感じ
劣等感がより強くなる
ことを感じていました。
そして
おねしょが治らない
ダメな子
という意識が
さらに強くなっていきました。
こんなに辛いのに
励ましの言葉、
安心させるような
言葉は一度もなく
ただ失敗したことを
責め、怒るだけでした。
わたしは
傷つきたくない
怒られたくない
という思いから
やがて失敗したことを
隠すようになり
話さなくなったら
何も言われなくなり、
それ以降
おねしょのことは
親から一言も
聞いてこなかったので
わたしの体のことは
心配していないんだ、
と感じ
やはり愛されていない
という思いが強くなり
責められ、怒られていたのは
親の家事や仕事の邪魔
をし
迷惑をかけていたからで
決してわたしの
身体の成長にのことを
心配してのことではない
と思うようになりました。
だから
小さいうちから
親のことか大嫌いでした。
もっというなら
憎かったです。
それでも一緒に住んでいるので
話したくなくても
表面的には適当に話をあわせ
なんでもないように振る舞う
ようになり
自分の気持ちや思いに蓋をし
意識しないようにすることが
常となり
やがて自分の
本当の気持ちや感情さえも
わからなくなっていました。
でもこれがわたしにとって
普通でしたので
自分の思いや感情がわからない
ことは
かなり後になってから
気づきました。
■友人関係を断ち切り
孤独感に耐える日々
中学生になるまでは
友人ともよく遊んでいたので
友人関係はよくて
それなりに楽しかったです。
それも一つの小さな出来事で
友人関係も崩れていきました。
中学の
ある夏休み明けこと。
その時、
美術の宿題(絵)を提出
したのですが、
提出したものは
教室の後ろにある棚の上に
置いてあるだけなので
誰でも見られる状況でした。
一人の友人が休み時間に
私が提出した絵をみて
ばかにしてたのが
聞こえてきました。
絵は苦手なので
確かにへたくそなんですが、
苦手なりに頑張ったものです。
それを大きな声で
けなして笑って
いました。
私は恥をかかされ、
傷つけられました。
この時
私の心の中では
私のできないところを
責め、
馬鹿にして
傷つける
という思いになっていました。
だから
友人もわたしを傷つける人
という思いに一瞬のうちに
変わり
友人はわたしを嫌いだから
こんなことするんだ、
と思いました。
わたしは
これ以上傷つきたくないし
恥もかきたくないので
二度と同じような気持ちを
感じたくない
この友人に対し
心を許してはいけない
という思いにもなったことから
友人関係を断ち切り
ました。
とはいっても
顔を合わせれば
適当に話をあわせて
いました。
ただそれまでのように
自分から話しかけることは
一切しなくなりました。
それ以降、
わたしを否定する
言葉や態度をとる
すべての友人を
同じ理由で
自分から断ち切っていきました。
なので中学卒業するときには
ほんとど友達はいなくなりましたので
とても寂しかったのが本音ですが
とにかく傷つきたくなくて
このようにしていました。
学生のうちは
寂しさや孤独感を
ひたすら我慢して
学生生活を送っていました。
■仕事に適応できない
親と同居している間
こんな自分にしたのは親のせい
だと思っていました。
だから
とにかく親から離れたい
という思いにもなっていて
親から離れたら
こんな思いをしないで済むだろう
と思っていたので
就職を機に家をでました。
親から離れて
寮生活だったので
だれにも束縛はされないし
自由にできだので
最初のうちは楽でした。
でも仕事が本格的に始まり
徐々に結果を求められる
ようになつてくると
これまで感じてきた思いを
また感じ始めました。
これが
わたしの仕事に大きな影響を
与えることになりました。
どんな仕事でも
基本の一つが
報・連・相です。
その中でも
相談することが
私には苦手で
相談することが
できませんでした。
なぜなら
相談したら
無能と思われる
相談後に無視される
相談した内容で
責められ、怒られる
相談した人から嫌われる
という思いがとても強く
学生時代と同じ思いから
逃れられなかったため
仕事の相談が
できませんでした。
例えば…
仕事の進捗が遅れてたとしても
上記のような思いが強すぎ
そのまま放っておく
ような状態でした。
そして…
あとで叱られる
ということで
これを繰り返すこと
になりました。
問題がある
と自分でわかっていても
無能、無視、怒られる
ということをされたくなくて
なんとか自分でしよう
と思い
相談ができませんでした。
このようなことが続き
居づらくなり
数年後に退職しました。
しかしその後も
同じようなことが続き
転職を繰り返すように
なりました。
■離婚通告3度、
6年間会話0に
そんな私も結婚はできました。
しかし、
結婚直後から
問題は起こりました。
妻からことあるごとに
言われていた言葉
「寂しい」
という言葉。
結婚当初から
この言葉を言われており
当時の私は
この「寂しい」
という言葉を聞くと
なぜかわかりませんが
「わたしが妻の心を傷つけた?」
とか
「自分が妻に対して
100%何もできていない」
という意味に聞こえてきて
責められている
怒られている
私は嫌われている
という受け止め方しかできず
思考が停止し
身体も動かなくなり
その言葉に応えることが
出来ませんでした。
そんなことが
約十年続いた後
妻からある日
離婚を3度つきつけられ
6年感夫婦の会話が0になる
ことに。
このことにより
余計に頭の中が
真っ白になり
何も考えられない
身体も硬直して
何も行動できない
という状態に陥りました。
その状態で約2年耐えていましたが
耐えることに疲れてきて
仕事を休むことが増え
でも家にもいられないので
仕事に行かず
外でぶらぶらしてることも
増えてきました。
■睡眠障害、適応障害
そして うつに
これまでも疲れたという感じは
ありましたが
夫婦関係のことがきっかけで
心がここまで疲れたことはなかったので
何か私の心がおかしいのでは
と思い始めたんです。
ここで初めて
心療内科を受診
することにしました。
病院に行けば
疲れた気持ちや
辛い気持ちが
楽になる
と思っていました。
受診してみると
睡眠障害、適応障害、うつ
と診断されただけで
特に悩んでることなど
まったくといっていいほど
聞いてくれず、
ただ薬を処方
してもらっただけでした。
それから数年間
薬を飲み続けましたが
ほとんど改善しませんでした。
■自死未遂2回
なぜ改善しない
というストレスが
あらたに生まれ
これが一生続くなら
生きてる意味ってあるのかな
と思うようになり
自死を考えるように
なりました。
そして具体的に自死のための
方法と日時と場所を決め
その準備をしました。
決めた日時に
その場所に行き
これから実行するときに
ふと遺書だけは残しておこう
と思い車の中で遺書を書きました。
遺書を書いてるうちに
気持ちが少し変わってきて
まだやれることがある
という気分になってきて
自死を留まることなりました。
でも自死をやめて
現実の生活・仕事にもどると
また辛い気持ちが襲ってきます。
そして同じように考え
2回目もその場まで行った
のですが
2回目も同じように
留まりました。
でもまた
辛い気持ちはまた襲ってきます。
この辛い気持ちを
どうしたらいいのか
わからずに過ごしていました。
■カウンセリング
を受ける決意と克服
それからはじらくして
ひとりの知人から
相談できる方を
紹介していいただきました。
でもまたこの時は
他人に自分のことを相談するのは
かなり抵抗がありました。
自分の弱い部分話すことは
恥ずかしい、
責められる
怒られる(または馬鹿にされる)
傷つけられるかもしれない
と思っていたので
それからしばらく
は相談できずにいました。
約半年くらい
相談するかどうかを
考えていました。
でもいくら考えても
できることは見つからないのと
薬では
わたしの症状が改善しなかった
こともあり
相談してみること、
これしか今の私が頼るところはない、
と思いになり
勇気を振り絞り
相談することにしました。
初日はとにかく
恥ずかしかったです。
話し始めると
私の話が遮られることも
否定されることもなく
こんな私のことも
受け入れるだけでなく
共感もしていただき
これには助けられました。
たったこれだけでも
気持ちは楽
というのを感じました。
そして相談するたびに
勇気を与えてくれるし
勇気を持てる感じが
心地よかったです。
何より
安心感があること
安全であること
が私にはとてもよかったです。
それだけでも
どれだけ気持ちが軽くなったか
わかりません。
相談してる中で
自分にできることを
教えていただいたり
一緒に考えていただいたり
考えたことを
試験的にに行動してみて
例え失敗しても
「それでもいいんです」
「次に生かしたり
次に違うことをためしてみましょう」
と失敗を責められず、
どんな時も「大丈夫」と
いつも心強い言葉をかけていただき
安心して相談することができました。
だから
次の行動に対しても
勇気を出すこと
ができました。
行動してみないと
わからないことも多い
ことにも気付かされました。
そのようなことをしながら、
少しずつですが心の改革
ができました。
心の改革ができたとほぼ同じ時期に
夫婦問題も解決することができました。
相談できたおかげです。
■あなたも克服できます
そして今では
私と同じような苦しみを感じている方々を
支援したいと思い
自らカウンセラーとなり
カウンセリングルームを
主宰させて頂いております。
この経験を活かして2017年に
カウンセリングルームあまるめを開業し、
ナチュラルマインドシフトセラピー
のカウンセラーとして
カウンセリングをさせていただいています。
「今の自分のままでいい!」で
満たされていかくから
劣等感、自己否定感、自信がない
から解放され
「自分が嫌い」を手放し
自己肯定感のある毎日にシフトしていく
【ナチュラルマインドシフトセラピー】
わたしもアダルトチルドレンでした。
上記したようにわたしの家族は
機能不全家族で
しかも情緒的なネグレクト
(これは親も子供の私も
ましてや他人もわかりにくい)
を受けてきて
アダルトチルドレンとなりました。
数十年間繰り返し同じ悩みが
繰り返され自分がおかしいのでは
と思ったりもしました。
あなたには
同じような経験をしてほしくない
私は悩みを解決するのに
膨大な時間をかけ
遠回りしてしまいました。
わたしの場合
30年以上の時間がかかりました。
もっと早く相談し、
もっと早く心理療法を知っていたら
こんなに長い時間をかけず
早く気持ちを楽にできたのに、
と後悔しています。
あなたに同じ苦労は必要ありません。
自分自身の心の改革は
早く変えられます。
ほんの少し勇気を出して
あなたのお悩みを話していただけたら
全力でサポートさせていただきます。
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